2026/9/15
患者さんの89日の「日常」を、医療に届ける

当院では、病院に入院・通院している患者さんと、法人内の介護関連施設などを利用している方の情報を、医療介護統合型電子カルテで一元的に管理しています。 これにより、病院に来る前に施設でどのように過ごしていたのか、そして、病状が落ち着いて病院から施設へ移った後にどのような経過をたどっているのかも、法人内で共有できるようになりました。つまり、入院中や入所中の情報は、医療と介護の間で切れ目なく共有できるようになっています。 それでも、まだ私たちには「見えていない時間」があります。たとえば、3か月に1度通院する患者さんであれば、90日のうち、私たちが直接知ることができるのは受診した1日だけです。残りの89日の「日常」を、私たちはまだ知りません。
石川県七尾市の恵寿総合病院の神野正隆医師(同院理事長補佐・消化器内科長)は、そう語ります。
同院を中核とするけいじゅヘルスケアシステムは、能登地域で先端医療から福祉まで「生きる」を応援することを掲げ、法人内の情報連携を20年以上かけて構築してきました。あわせて掲げてきたのが「患者参加型医療」。患者さん自身が自分の病気や治療を理解し、医療に参加するという考え方です。同院は早くから患者さんの手元にデジタルで診療の記録を届けることで、これを実践してきました。
施設間での医療情報の途切れをなくすこと、患者さんへ診療結果を届け医療へ主体的に参加してもらうこと。医療情報の透明化を通して医療の質の向上に注力してきた病院が、これから取り組もうとしているのが、診察室の外に残る「患者さんの日常」という医療者からは見えない時間です。
はじめに
『医療現場の実態』は、本来たどり着けるはずの医療にたどり着けない「医療迷子」という現象を、医療現場を取り巻く仕組みや制度から解き明かすシリーズです。
医療迷子の困りごとが生まれる場所は、医療の道のりにあるたくさんの「あいだ」です。生活者と医療のあいだ。患者と医療者のあいだ。医療者同士のあいだ。現場と制度のあいだ。届くべき・出会うべき、医療・声・情報が、お互いにすれ違って迷子になっているかもしれません。
そしてそれは、患者さんにだけ起きているのではありません。紹介先に迷う医師も、前の病院の情報が届かない病棟も、複雑な制度を使いこなせない現場も、同じ構造のなかにいます。本シリーズでは、こうした「あいだ」で何が起きているのかを、具体的なテーマで取り上げていきます。
今回注目するのは「患者と医療者のあいだ」です。医療情報の連携は、電子カルテの統合やネットワークの整備によって着実に進んできました。しかし患者さんの日常が医療者に届く道は、いまもほとんど整っていません。本稿では、法人内の医療情報の連携を先んじて築いてきた恵寿総合病院の神野正隆医師への取材から、「患者と医療者のあいだ」の道を整えることによる医療の質の向上、さらにその先で実現できる今後の地域医療のあり方について掘り下げます。
恵寿総合病院 神野 正隆 医師 理事長補佐/消化器内科長/データセンター長/医学博士・医療経営学修士(MBA)
データを徹底的に見えるようにして、法人内の情報を共有知にしてきた
同院がまず向き合ったのは、法人のなかの情報の透明化でした。入院した患者さんには主治医、看護師、薬剤師、ソーシャルワーカーらがそれぞれの立場で関わりますが、各立場の持つ情報を束ねる仕組みがなければ判断は個人に委ねられます。また、介護施設に入所していた方が体調を崩して入院してくる場面では、施設間をまたぐことになるため、それまでの経過の情報が一度途切れてしまいます。
同院はこれを、法人内に共通の仕組みをつくることで解消してきました。「医療介護統合型電子カルテ」では、法人内の病院と介護関連施設が同じひとつのIDで患者さんの記録を共有します。施設にいる利用者さんの状態も、入院してからの経過も、ひと続きで見えます。「入退院管理センター」は、入院前から退院後までをひと続きにマネジメントするPFM(Patient Flow Management=患者さんの入退院の流れを一元的に管理する考え方)を統括する部門として、2022年に設立されました。
入退院管理センターにPFMの中枢となるベッドコントロールの責任と権限を集中させました。医師の役割は「治療の方針を決め、治療を行い、退院の許可を出すこと」という医師にしかできないことのみに特化してもらい、それ以外の入退院に関わる調整はすべてセンターが担うルールに変更したのです。
さらに、在宅系サービスの事業所を1か所に集約した「地域包括ケアセンター」を設置。訪問看護・訪問介護・訪問リハビリ・ケアマネジャー、そして医療福祉レンタルまでがひとつの部署として協働しています。両センターがデータを密に共有し、病院・地域・自宅を一体的につなぐ支援体制を構築し、切れ目のない医療と生活支援・情報連携を実現しています。
そして「データセンター」が、法人内のあらゆるデータを1か所に集めて、各施設・各部署で自分たちに関わるデータをわかりやすく見られるようにしています。同院はこれらを、現場に新たな入力負担をかけることなく、すでにあるあらゆるデータを集約し、加工・可視化することで実現してきました。
最も時間がかかったのは、システムをつくることではなく、それを現場に定着させることでした。取り組みの意味が理解されないまま新しい運用が始まれば、現場には「やらされ感」と「負荷が増えた」という不満が残ります。同院では、新しい取り組みを導入するたびに「なぜやるのか」をとことん語ることを重視してきました。一時的に負荷が増えても、その先に業務が効率化すれば、病院が提供できる医療の質は高まる。結果的に、患者さんに向けられる時間が増える。その道筋を、そのつど示してきました。
こうして法人内の情報をつなぐ一方で、同院が並行して進めてきたのが、病院と患者さんのあいだをつなぐ取り組みです。
患者さんが自分の医療の主体になるために
同院が掲げてきたのが「患者参加型医療」です。その実践のひとつとして、PHR(Personal Health Record=自分の医療情報を患者本人が持ち歩く仕組み)の利用を推進し、日々の投薬・注射・処置・検査・画像といった診療データを、患者さんが自分のスマートフォンなどで確認できる仕組みを導入しています。2026年現在、恵寿総合病院で約5,700人、恵寿金沢病院で約2,800人が利用しています。
なぜ患者さんに情報を渡すのか。その根幹には、患者さんが自分の医療の主体となることで、より良い医療が実現できるという考えがあります。
他院にも通院している患者さんに「何の病気で通院しているのか」「どんな薬を飲んでいるのか」と質問しても、「詳しくはよく分からない、先生に任せているから」と答える方も珍しくはありません。 頼ってもらうことは良いことですが、その上で自分の健康を人任せにするのではなく、自分でデータを持ち、その意味を理解して医療に参加してもらうことが、お互いにとってより良い医療に繋がると、地道にメッセージを発信し続けています。
PHRを活用した医療の質の向上のためには、患者さんに何を渡し、何を渡さないかの線引きも重要です。すべての診療記録を共有の対象にすると、医療者同士が共有すべき情報をかえって共有しにくくなり、ケアや医療の質が落ちる可能性もあります。
一方で、投薬内容や検査結果といった客観的な情報は、患者さんが管理しやすい形で渡すことで自分の状態を把握し、治療の内容を理解する足がかりになります。
客観的な診療データをデジタル化することによって病院も患者さんも情報を管理しやすくなるというメリットは大きいと思います。 なによりそのような情報は患者さんのものであるという基本原則を考えれば、患者さんにしっかりと自分の情報をお渡しするというのは至極当然のことと思います。
当初は患者さんへの付加価値サービスと考え導入していたPHRでしたが、2024年1月、能登半島地震が発生した際に、患者さんが手元に診療情報を持っていることで、有事にも必要な医療にたどり着くことができた事例がありました。
避難先で、かかりつけではない医療機関に急にかかった時に、自分の日々の医療情報を見せることができた。 避難先の病院も、当院に問い合わせをせずとも、そのデータで患者情報を見られます。それで問い合わせをいちいちしなくても事足りたというのを、後々に医療機関からも聞きましたし、患者さんからも助かったという声も多く聞きました。 他院との連携においては電子カルテほど詳細でなくても、PHRでも十分意味がある、というのは災害時に実感しました。
もし患者さんが情報を持っていなければ、避難先で受診した病院から照会を受け、記録を確認し、診療情報提供書を作成して送る流れになります。平時でも手間のかかる作業を、被災下で速やかに行うことは困難です。このとき患者さんが記録を持っていたことは、受け入れた病院だけでなく、普段患者さんが通院していた病院の医療も支えていました。
震災のとき、医療機関の枠を越えて情報を運んだのは患者さん自身でした。PHRは患者さんのためのサービスであるだけでなく、医療機関のあいだをつなぐ回路にもなりうる――震災での経験を通し、地域医療の視点からもPHRの価値が見えてきました。
3か月に1度通院する患者さんの、89日の「日常」
総合病院では、状態が落ち着いた患者さんの定期受診は、3か月に1度程度になります。つまり、90日のうち、医療者が患者さんから直接話を聞けるのは、わずか1日です。残る89日間の暮らしのなかで、どのように過ごし、どのような変化があったのか。その情報を得るためには、患者さん自身が詳しく話すか、医療者が時間をかけて丁寧に聴き取る必要があります。しかし、その89日間の出来事や体調の変化を、診察室ですべて思い出して正確に伝えることは、決して簡単ではありません。
3か月に1回しか来院しない慢性疾患の患者さんの場合、診察室で『この3か月間どうでしたか』と聞いても、数か月前の体調の変化など忘れてしまいますし、本当は辛いこともあったのに総括して『大丈夫です』と答えて終わりになるケースも少なくありません。
言っても仕方がないと、飲み込んでしまう。そして医療者は「大丈夫なのだろう」と受け取る。限られた診察時間のなかで、双方が相手を気づかった結果、見えなくなる情報もあるのではないでしょうか。
神野医師は、患者さんから医療者への情報共有のより良い形が実現すれば、医療者がもっと患者さんへ寄り添うことができるようになると期待します。
現在のPHRは病院から患者さんへデータを一方通行で提供する形が主流ですが、本当に価値があるのは『患者さん側から日々の体調等のデータを病院へ共有してもらう双方向の仕組み』です。
しかし、ただ情報を渡せば届くというものでもありません。患者さんが記録を持参したとしても、診察室でそれを読み解くための時間には限りがあります。患者さんの日々の記録が、医療者にわかりやすく届く形に整えられていることが必要です。
医療従事者がストレスなく患者さんの日々の情報を収集・共有する方法は今後の課題だと感じます。たとえばAI等を活用し、患者さんの病院の外での日々の情報を端的にまとめたものがあると、治療に役立てられる可能性があるなと思いますし、より患者さんの訴えを傾聴し寄り添えるなと思います。
同時に、患者さんの側の負担も小さくなければ続きません。患者さんは日々記録を残し、それを医療者がまとまった形で受け取れる仕組みが必要になります。
この仕組みを実現するためのボトルネックは『患者さんが日々のデータを入力してくれないと始まらない』という点です。患者さん自身が具体的なメリットを実感できる循環をつくることが重要です。
医療機関が患者さんに診療データを渡すことで、患者さんは自分の治療についての理解を深めることにつながり、自身の日常を治療の一部として記録することに意味が生まれる。そして患者さんが自宅で記録したものが診察室で受け止められると、治療の記録を持っていることの意味が実感できる。この循環が実現できれば、患者さんの日常を医療者に届ける道をつくることができるのではないでしょうか。
善意だけでは、広がらない。制度と、地域に必要なこと
この患者と医療者のあいだの道をつくる取り組みは、いまのところ各病院の努力に委ねられています。
国は「骨太の方針」(※1)などでもPHRの推進を掲げていますが、現状は病院側の持ち出しや自己努力に依存しています。PHRを日本全体に普及させるためには、「診療報酬(点数)」を明確につける方法もありだと個人的には思います。患者さんにとって良いことをすることで最終的に医療機関の報酬に繋がるというのが加算の本質です。
そして同院が見据えているのは、患者と医療者のあいだのさらにその先にある、地域の医療機関同士のあいだです。
いま地域には、どこの病院の病床がどれだけ空いていて、どういう患者さんを診ているのかを、互いに把握できる材料がありません。公開されているデータはあるものの、更新の頻度や粒度は統一されていない状況です。 国も2040年を見据えて、地域医療構想にもとづく医療機関の連携・再編・集約化を促進する方針を掲げています(※2)。神野医師は、地域の医療を守るために最も重要なのが、医療機関同士の情報連携を通した「地域全体でのPFM」の最適化だと語ります。
今までは自分たちの法人内の努力で完結できましたが、ここから先は他法人や公立病院などの外部機関を巻き込んでいく必要があります。 通常の病病連携や病診連携はもちろんですが、法人を越えて、共通の客観的なデータを定期的に共有し合うことで、地域全体としてのベッドコントロールや患者さんにとって適切な医療とケアの循環を、よりスムーズに行えるようになれば良いと思っています。
リアルタイムで互いのすべてを開示する必要はありません。共通の指標を、共通の周期で共有できる仕組みがあれば、地域全体で患者さんに必要な医療を届けることができます。「骨太の方針2026」も、医療・介護に関する情報の連携基盤をつくり、切れ目なくサービスを提供する方針を示しています(※3)。医療機関同士の情報連携実現のための足場は制度の側にもありますが、診療報酬での支援など、さらなる環境整備の議論も重要になってくるのかもしれません。
医療が理由で、この土地を離れる人がいないように
地域医療の質を落とすことなくこの先も続けていくには、いち医療機関を越えて、地域全体で患者さんに必要な医療を届ける仕組みが必要になります。大都市圏を除けば、これからの日本はほぼすべての地域が急速に縮小していきます。神野医師は能登を「日本の未来の縮図そのもの」と呼び、地域医療を維持するには、感覚ではなく客観的なデータにもとづいて、医療機関同士で協力し、どの病院が何を担うのかを地域で決めていくことが重要だと語ります。
私の想いとしては、能登に住んでいる人々が「この地域で十分な医療が受けられないから、離れざるを得ない」という状況だけは絶対に避けたい。客観的なデータ連携の基盤を整え、行政の理解と協力、そして他法人を巻き込んだ適正化が進めば、今後も悲観する必要のない、持続可能な地域医療の未来を創ることは十分に可能だと信じています。
医療者が知りたいことと、患者さんが伝えたいことは、もともと同じ方向を向いています。足りないのは、そのあいだをつなぐ道です。法人の内側の情報をつないできた病院が、いま見ているのは診察室の外にある患者さんの日常であり、その先にある地域でした。
おわりに
患者さんが自分の医療の主体になること。その日常が医療者に届くこと。この二つは、患者さんの意欲や医療者の努力だけで実現できるものではありません。記録が生まれる場所と、読み解かれる場所をつなぐ道が、まだないという構造的な課題です。そしてその道は、ひとつの病院のなかだけでは完成しません。地域全体で情報を共有できる仕組みと、それを支える制度が必要になります。
本シリーズでは、こうした医療の現場の課題を引き続き取り上げていきます。「医療迷子」について現場での実感や取り組み事例がありましたら、医療迷子レスキュープロジェクトまでお寄せください。
https://ubie.life/medical-maigo
※1 出典:内閣府「経済財政運営と改革の基本方針2026」(2026年7月21日閣議決定)p.30 ※2 出典:同 p.28-29 ※3 出典:同 p.29-30



